祈願は、神社やお寺、あるいは新興宗教などで頻繁に行なわれています。ですから、特に霊術というものではないように思えます。ですが、これもやはり霊術の一つなのです。

 たとえば、宗教を信じる人が自分の信じる神や仏に対して何か願い事を祈る時、それは普通の祈願と言えます。ところが、それでは不十分だと考えて、霊能力者や祈祷師といった、その道の専門家に依頼するとなると、これは霊術の範疇に入ってきます。

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 つまり、そうした専門家は一般の人達とは異なり、特別な祈願のための作法を持っています。そうした作法は霊術と呼べるものと思われます。

 ですから、神社やお寺での祈願も、本来ならば、霊術に含めて考えて良いと言えましょう。ただ、神社やお寺の場合は、ともすると、神主さんやお坊さんご自身が霊的な力を信じていない場合が多く、そのような場合には、霊術というよりも、単に伝統的な宗教作法といった方が適切だろうということなのです。

 したがいまして、霊的な力の実在を信じて、専門的に技を行使している霊能力者や祈祷師の方々の行なう作法が、祈祷法、あるいは祈願法、というに相応しい霊術なのです。

 この祈願のための技法は大変単純なものから複雑なものまで多数あります。要するに、効果が出れば良いわけですから、技法はそれぞれに異なっても当然なのです。

 祈願というからには、大抵の場合は、その方が信じる神や仏に祈りを発します。そのため、天照大神や大日如来といった神仏に祈ることが主眼となります。火を焚いたり、長い文章を書いたりして祈願者は真剣に作法するのです。

 ここで、大切な事は、祈願する人の願いの意味を、祈願される相手である霊的生命体が果たして理解し得るかどうかという点です。

 祈願をする対象が実際は神や仏というような高貴な存在ではなくても、とにかく霊魂に届けば、その霊魂が動いてくれるということになります。まず第一に、そうでなければ、霊術家としては失格です。

 ですから、霊魂が動いてくれるとして、果たして、どの程度、願いの内容を理解してくれるものなのでしょうか。これは、祈願のための作法をする方の力量次第と言えましょう。その方が動かし得る霊魂の力、そしてその霊魂とどの程度のコミュニケーションがとれているのか、そういったことが問題になってきます。

 実際、たとえば、神主さんやお坊さんが神や仏に祈願している様子を見ていますと、側で聞いている私達でさえ、聞き間違えることがあります。ましてや、たとえば、神主さんが他の方の祈願をしている場合、読み上げられた名前が耳に入っても、しばらくすると忘れてしまう人が多いことでしょう。

 同じ次元の空間にいてさえも、その程度の記憶しかないのです。霊魂は物質以外の存在であるのですが、果たして、地上の対象を正確に覚え、その上でさらに、願いの内容しっかりと把握できるものなのでしょうか。

 答えはもちろん否です。霊魂といっても、元は私達と同じ人間です。肉体を捨てて幽体の存在になっただけで、やはり、人間なのであり、私達の先輩にすぎないのです。霊魂達も決して万能ではないのです。

 ですから、霊術が必要なのです。一般の人が神社やお寺で、普通に祈願してそれが霊魂に届くものならば、神主さんの祈願はいらないのです。そうでないからこそ、プロが必要なのです。もちろん、世の中にはいろいろな人がいます。中には例外的な人もいることでしょう。ですが、そうした人は、あくまでも、例外なのです。

 普通の人では願いはほとんど届きません。だからこそ、プロの価値があるのです。

 霊術家と呼ばれる人達は、その作法において、まず、より正しく情報を霊魂に伝達し得る人達であり、かつ、霊魂を動かし得る人達でなければならないのです。

 そして、祈願を依頼された時には、その祈願の内容が倫理や道徳、あるいは、宗教教義にてらして、正しい事なのかどうか、そうした事も判断し得る人達でなければならないのです。 

 霊能力者や祈祷師と呼ばれる方の多くは神や仏を祭っていらっしゃいます。そうであれば、そうした神や仏の前で、正しい事をしているという確信がないと作法に力は入りません。

 ですから、人間としての善悪や信じる宗教の考え方を考慮した上で、適切な判断をしなければ霊術を行使することはできないのです。

 困った人は霊術家に対して、とにかく何とかしてくれ、と簡単におっしゃいます。確かに、そうした方は切羽詰まっていることが多いのでしょう。霊術家としては、そうした依頼者の心情を汲む事も大切な反面、霊術家としての道を充分考えた行動を取らなければならないのです。

 困った人の依頼を何でもかんでも叶える事が正しいわけではないのです。たとえば、ヒトラーの部下に、ヒトラーが負けそうだから力を貸してくれ、と言われたらどうでしょう。深く考えずに、仕事だから何でも叶える、ということで良いのでしょうか。

 依頼者は国家の危機を訴え、さぞ、説得力のある演説をすることでしょう。その霊術家の本心は、ヒトラーは間違っている、と思っていたとしても、依頼者の熱意に負けて霊術を行なってしまったとしたらどうなるでしょうか。

 その結果として、多数の霊魂がヒトラーを応援し、万が一にでも、相手方の作戦をヒトラーに霊感として与えたとしたら、その結果はどうでしょう。

 祈願というものは、依頼する方もされる方も、その内容について深く考えてみる必要があると思います。