ルーズベルトの死はなぜアメリカのダブーであり続けるのか
死の謎をめぐる論議がつづく

フランクリン・デラノ・ルーズベルト米国大統領は、一九四五年四月十二日
空前絶後の大統領四選を果たしてから五カ月後、そしてヤルタ会談から二カ月後に死去しました。

主治医ブルーエン医師(軍医)による死亡診断は脳溢血であり、誰にも予想できなかった
突然の死であるとされました。

以後、これが死因に関する公式見解となりますが、すでに死の直後からこの公式発表には
疑義が呈せられ、今に至るも米国内では論議がつづいています。

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アメリカ大統領の呪詛祈祷を執り行う

20年1月頃(太平洋戦争=第二次世界大戦)が集結する7ヶ月ほど前。
 アメリカ軍の豊富な物資や戦力に比較して、日本軍は既に物資を使い果たし、空き缶などの
鉄屑を溶かして再利用しなければ、戦えないないほど追い詰められていました。
 
国民向けには士気を高める為に、「日本有利。」と発表していましたが、日本軍の幹部は、
既に敗戦が近い=勝ち目がない事を自覚していました。
 
織田信長や豊臣秀吉などが活躍した戦国時代の戦いでは、敵の大将の首さえ取れば、兵は負けを認めて退散すると言う考えが、日本人には根強く残っています。

そこで戦力では勝ち目が有りませんのでアメリカ軍の最高司令官=アメリカ大統領を暗殺して、
アメリカ軍の士気を一気にそぎ落とそうと画策します。

しかし、日本軍はアメリカ軍の攻撃に応戦するのが精一杯で、アメリカ本土にいる大統領を
暗殺する事など到底不可能です。
 
最期の頼みとして目を付けたのが、密教祈祷呪術です。
1月某日に軍の命令で一同に集められたのは、いずれも効験の高い有名な密教僧=約30人。
国家安泰と言う大義名分の元、アメリカ大統領の呪詛祈祷を執り行う様に命じられました。
 
30人余りの僧が連日連夜ルーズベルト大統領を呪殺せんと祈祷を執り行う事、約3ヶ月。
4月12日=終戦の僅か4ヶ月前に大統領は、勝利を見届ける事なく亡くなりました。
 
アメリカ側の正式発表では原因不明の病気で急死と有りますが
日本軍の記録には密教僧による呪詛祈祷の成功と記録されています。

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ただ、日本軍の思惑に反して、大統領が亡くなった事でアメリカ軍の士気は全く衰えず、日本はついに8月15日に全面降伏して敗戦を迎える事と成りました。
 
軍の記録では、あまり細かく書いて有りませんし、証拠となる写真なども残されていません。
戦後アメリカ軍の関係者が何らかの意図を持って資料を隠ぺいしたものと考えられます。

ただ、国立図書館の元館長など複数の著名な方々が、この歴史的な呪殺祈祷の現場に立ち会ったと証言していますので、軍の主導で執り行われた事は間違いないと思われます。

開戦以来、日本では比叡山ともうひとつどこかで、終夜365日護摩壇を焚き、多くの修験者を
動員し、国家事業として神風の再来と、ルーズベルトの呪術による殺害のための加持祈祷をおこなっていました。

戦時中に、政府は秘密裏に、各地の有名な神社、寺院などに
ルーズベルト調伏の祈願を命じています。

この事実を知り溜飲が下がる思いがしたのは私だけでしょうか

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熱田神宮の話
この時は、解いてはいけない草薙剣の封印を解いて祈願が行われました。
すると、神体(草薙剣)が、唸り声のような音を発して、じりじりと動き始めました。
宮司は震えながらも祝詞を上げます。しかし神体は逃げていく。

堪らず、権禰宜が抑えようとして神体に触れたら、権禰宜は一瞬にして燃え尽きて灰になりました。
当然周りは動揺しますが、宮司は祝詞を上げ切りました。
その後、政府から再び儀式を命じられますが、断固拒否。
そして終戦をむかえました。