私怨において調伏祈祷を行う。
例えそれが依頼によるものであっても、許されざる行為です。
では、不可能なのでしょうか?

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修行を積んだ祈祷師の祈祷は人の生命を奪います。
様々な祈祷には、作法や次第というものがあります。
その手順を踏めば、どんな行者にもある程度の祈祷は可能です。
調伏祈祷もそれに準じます。


行者という生き物は、事が行や祈祷に関する場合は制御不能になります。
超えてはならない一線と言うものが存在しないとお考え下さい。
祈祷中の行者に理性は殆どありません。
祈願を通す、祈祷を完成する、満願を得る、その想いしかありません。


加持祈祷は、神仏との真剣勝負。
どんな祈祷も行者は命懸けです。
言い換えれば、行者は常に命は捨てている。
そう、なんでもありの世界となります。

悲しいかな、行者の性(さが)というものでしょうね。
請けた祈祷が正義に反しても祈祷師は調伏祈祷を行います。

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 許されない行為と納得の上で、調伏祈祷を行います。
己の利益の為というより、己を捨てて神仏にすがるのです。
身を捨てて事にあたれば、多くは成就します。


誰かを呪う祈祷も、同じで一心不乱に祈祷する行者や祈祷師は呪い殺すまで続けるます。

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