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呪う対象者の名前、生年月日、を半紙に書いて三角護摩壇で燃やすこと21日。
呪った日から体調不良になり鬱病で自殺するか、奇病で苦しむか、事故死
心筋梗塞・脳溢血で死にます。


呪いでフランクリン・デラノ・ルーズベルト米国大統領は急死

フランクリン・デラノ・ルーズベルト米国大統領は、一九四五年四月十二日
空前絶後の大統領四選を果たしてから五カ月後、そしてヤルタ会談から二カ月後に死去しました。

主治医ブルーエン医師による死亡診断は脳溢血であり、予想できなかった突然の死であるとされました。


以後、これが死因に関する公式見解となりますが、すでに死の直後からこの公式発表には疑義が呈せられ、今に至るも米国内では論議がつづいています。


20年1月頃(太平洋戦争=第二次世界大戦)が集結する7ヶ月ほど前。
 アメリカ軍の豊富な物資や戦力に比較して、日本軍は既に物資を使い果たし、空き缶などの鉄屑を溶かして再利用しなければ、戦えないないほど追い詰められていました。
 

国民向けには士気を高める為に、「日本有利。」と発表していましたが、日本軍の幹部は、既に敗戦が近い=勝ち目がない事を自覚していました。


最期の頼みとして目を付けたのが、密教祈祷呪術です。
1月某日に軍の命令で一同に集められたのは、いずれも効験の高い有名な密教僧=約30人。
国家安泰と言う大義名分の元、アメリカ大統領の呪詛祈祷を執り行う様に命じられました。
 

30人余りの僧が連日連夜ルーズベルト大統領を呪殺せんと祈祷を執り行う事、約3ヶ月。
4月12日=終戦の僅か4ヶ月前に大統領は、勝利を見届ける事なく亡くなりました。
 
アメリカ側の正式発表では原因不明の病気で急死と有りますが
日本軍の記録には密教僧による呪詛祈祷の成功と記録されています。