「私を嫌っているあの人を振り向かせてやる!」

そう思って祈祷のお願い、護摩の依頼などしたことはありませんか?

実はそこまで来てしまうと、それはもはや「のろい」の世界です。
「魔術」というものがありますが、その分野になります。

「死ね」と思って祈祷すれば、それは明らかに呪詛です。
呪詛は相手が望んでいない方向にむりやり捻じ曲げよう、という祈祷です。

これは素人がやってはいけません。
必ず我が身に跳ね返ってくるからです。
専門の祈祷師も呪殺を請けると1ヵ月は体調を崩します。

調伏は、対象は相手であったり、煩悩に対して行う祈祷です。
確かに効果として、それしか解決法がない場合は、相手が死ぬことになります。

30a9495172b0fe8400f6a68c14d524b1


生霊は、人間が放つ念波の一種で必ずしも、良いものでは無い場合があります。
怨みの念が強ければ、強いほど飛ぶと言っても過言ではない。

しかしその全ては、最終的には、自分に跳ね返る事になる。
此処に事例を挙げておきます。

私がA氏に依頼を受け、霊視すると様々な怨みの念が渦巻いている事を知った。

A氏は、会社の重要人物で決定権を持つ地位にある人で、今まで様々な仕事上のトラブルを解決して来られた方だが、その手法は、いささか強引な面も有った。

相手を思う気持ちは、優しいのですが、相手は、そうは、思って居ない。
ただ自分の地位を奪った憎い奴なのである。

A氏は、強引な手法だが、その後は、相手の身が立つように奔走し助けた事は数知れない位あるのですが、怨みの念に凝り固まる者には、馬の耳に念仏である。
A氏を呪い、我が身を鬼に変え、呪う心は生霊と成りA氏に取り憑いて居るのである。

私は、余りにも数が多いので、一人一人を排除呪縛しても、埒があかないと判断し奥の手を使う事にした。

仏母孔雀明王法を使う事を決意し準備を始めた。

孔雀明王法は、悪鬼羅刹を消滅差せるには、最適である。
孔雀は、好んで毒蛇を食う事から密教では、調伏法に使われる事が多い修法である。

私が修法を始めると、段々視えて来た。
相手は、普通の人間だけでは、無かった。

金で呪いを請け負う呪法者が混じって居た。
術勝負である。

私も呪法は心得ている。
呪い返しを相手に掛けて、念を込めた瞬間、手ごたえがあった。

相手はただでは、済まないであろう。
呪い返しは、呪う方依り返す方が強いのである。

但し、素人が生齧りでやった場合、逆に危険を伴うので、勧められない。

よく質問される事だが、呪法師に依頼すれば自分は大丈夫だと思って居る人がいるがそれは、完全な誤りである。

同罪なのである。

呪法が例えば成功しても、後で何倍にも成って、自分に返って来る事を知らない人が多いのも事実である。

私が返した、呪いは、呪法師と依頼人に全て返り、ただでは、済まない。

その実態は、生々しいので書く事を控えますが、どんな事が有っても、呪いだけは手を出してはいけ無い。

罰は、人間が与えるのでは無く、神仏が与える究極の反省です。
ですから、悪事が今世でバレなくても必ず報いは、あります。

死に逃げは、出来ません。

e6575edb