「怨敵退散」の祈祷の願意は、「自分や家族に害をなす人間が、その企てを実行できなくなりますように」という感じです。

かつては真言宗や天台宗では「怨敵調伏」の修法が行われていました。

現代では、公然とそのような修法を行うと破門になります。

呪殺は表に出ない闇の呪法、儀式になります。

人間には元々不思議な力が備わっていて、修行によって増幅されます。
人はそれを有効活用する方も増えています。

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人を呪ってはいけない、というのは呪い殺せることができるからです。

呪殺行為を行った後で相手が死んだとしても、本当に呪いで死んだのか、偶然なのか判断することはできません。

古今東西の呪術・魔術というものには怨敵調伏(呪い殺す)という方法が結構あります。
呪詛(呪い殺す術)は人を殺せるだけの力を用意して相手にぶつけるものです。

儀式であるだけに、小難しい作法や決まり事があります。
祈祷師は人を殺せるだけの力があるわけですから、その力を発散します。

相手が死ぬか自分が死ななければ終わりません。
つまり、失敗は自分の死になるのです。

浮遊霊や地縛霊が祈祷師の念を感じて協力したりする場合もあります。

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