世の中は言葉では説明のつかない出来事であふれている

私たちが五感を使って見るもの、体験するもの、触れるものは、すべて「これを見る」
「これを体験する」「これに触れる」という意思の後に出現している。

この順番が変わることはない。
すべては意思が私たちを動かしている。

もし、目標を達成するために、神頼みをしたとする。その場合、「とりあえず祈っておく」では念願は成就しない。

たいていの人は、過去に「願い事が叶いますように」と神仏に祈った経験があるはずだ。

しかし、その祈りが「過去に全く効果がなかった」ということが連続して起きれば
「神仏は、自分祈りを叶えてくれないかもしれない」と祈りの力に対する疑念に意識が向く。

そして、「とりあえず祈っておく」となる。
だが、もし意識が存在するなら、感受性は人間も神仏も同じではないだろうか。

私たちが日々の忙しさの中で、さほど付き合いが深くもなく、たいして信頼関係のない友人が訪ねてきたとする。

そして「できたら、○○をしてほしい」と、手のかかる依頼をしてきたとしよう。
あなたは、その懸案を最優先で着手できるだろうか。

だが、もし旧知で昵懇の友人が必至の形相であなたに「是が非でも、何が何でも頼む!」と平伏して懇願されたら、それを放っておくことは難しいものである。

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私たちは、【自分の力だけではどうにもならないこと】があると仏様や神様に祈ります。


例えば、

  • 自分の両親や家族が健康でいられますように
  • 我が子が無事に受験に合格しますように
  • 大切な友人のケガや病気が早く快復しますように


など、人それぞれ一生懸命に願いを込めて祈ります。

しかし、あなたはこんな疑問を持ったことはありませんか?


「一生懸命に祈ったところで、本当に願いなんて叶うの?」


願いが叶ったとしても、『あなたの祈りの効果』なのか、それとも『ただの偶然』なのか分かりませんから。もしも『一生懸命に祈っても、本当は何の効果もない』なんてことだったら何だか悲しい気持ちになりますね。


じつは、『祈ることで何らかの効果があるのかどうか』についてアメリカでいろんな実験がされていました。

どんな実験をしたのかというと、

  1. アメリカ全土から『ガンの患者』400名を無作為に選びます。
  2. そのうちの半数である200名の患者に対して、同じくアメリカ全土から無作為に選ばれた人たちで「患者の病状が良くなりますように」と一年間毎日祈ってもらいます。
  3. 一方で、もう半数の200名の患者に対しては一年間何もせずにいます。
  4. 『ガンの患者400名』と『祈る人たち』、そしてこの実験に関係する『医療従事者の全員』には【実験の内容と目的】は伝えないでおきます。
  5. この実験に参加している人の全員が顔見知りではありません。
  6. 『誰かに祈ってもらった患者200名』と『何もしなかった200名』で、一年後に何か違いが出るのかを検証する。


というものです。


結果は、

  • 『誰かに祈ってもらった患者200名』は、病状が良くなったり、病状悪化の進みが遅くなった。
  • 『何もしなかった200名』は、特に目立った変化はなかった。

というものでした。

じつは、同様の実験がいくつか行われており、いずれも同じような検証結果が出たそうです。

『祈りには何らかの効果がある。そして、それは距離や顔見知りかどうかなどは関係ない。』ということなんです。


もちろん『単なる偶然』である可能性も十分にあります。

しかし、複数の実験で同じような検証結果が出たとなれば、『祈り』というものには私たちが想像もしなかった【未知のチカラ】があるのでは?と期待したくなります。


あなたの祈りが遠く離れた相手に届いて、しかもちゃんと効果を発揮しているかもしれないのです、とても神秘的で素敵なことだと思いませんか?


ただし、この検証結果は『自分自身のためではなく、他人のために祈った』ものであることに注意しなくてはいけません。


祈りというものは、自分ではなく他人の幸せを願い心から祈った時にその効果が出るようです。
「自分の祈ったことも叶えばいいのになぁ」と思うでしょうけれど、そう上手くはいかないみたいですね。


真言宗には【護摩祈祷】といって、お不動様をはじめいろんな仏様に対して願いが成就するように祈る法要があります。


護摩法要では、参拝された方々の【健康】や【安全】や【開運】などのために、多くのお坊さん達が一心に祈ります。

多くのお坊さん達が『他人である参拝者』のために祈り、それによって参拝者の願いが叶うわけですね。
あなたも一度もご祈祷を受けてみてはいかがでしょうか?
いろんな仏様のお力を借りて、お坊さん達があなたのために祈ってくれますよ。


ご祈祷を受ける時には、あなたは『自分の願い』が叶うように祈らなくても構いません。
『あなたの願い』についてはお坊さん達が祈ってくれますから、あなたは『他の誰か』のために祈ってみて下さい。


祈る相手は【あなたの知人】でもいいですし、アメリカでの実験のように【顔も知らない誰か】のためでも構いません。


あなたは『他人の幸せのため』に祈り、他人は『あなたの幸せのため』に祈る、これによってそれぞれが幸せになれるのです。


あなたが何か願いを叶えたいのであれば、まずはあなたが『他人のため』に祈りましょう。


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